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カメラを使わない作品 第1回 ファウンド・フォト

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こんにちは。between the booksエディターの井関ケンです。

自分で写真を撮らなくても作品を作ることができるんです。カメラを使わない写真作品を紹介します。

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私の写真

「私の写真は内的な必要性から常に生まれてきました」

これはアメリカ近代写真の父と呼ばれるAlfred Stieglitz(アルフレッド・スティーグリッツ)のことばです。スティーグリッツは自分の内面を表現するために写真を用いました。

equivalent, 1930

「equivalents(イクイヴァレンツ:等価物の意)」というシリーズ。雲が写真家の心を写している、というコンセプトです。

 

「私の場合、ずっと私小説になると思います。私小説こそもっとも写真に近いと思っているからです。」

これはアラーキーこと荒木経惟さんの写真集『センチメンタルな旅』の序文*1からの抜粋です。

荒木さんも、私のコトを写真に撮っています。

 

誰かの写真

これから紹介するファウンド・フォトを使った作品は「私の写真」ではなく、「誰かの写真」です。

Dick Jewell 『Found Photos』1979年

イギリス人のDick Jewell (ディック・ジュウェル)は1960年代後半から証明写真機のまわりに捨てられていた、写っている人が誰かわからない失敗証明写真を集めはじめます(荒木さんの「センチメンタルな旅」とほぼ同時期です)。ジュウェルは10年ほど収集を続け、1979年にその名も『Found Photos』というタイトルの写真集をつくりました。

Dick Jewellのサイトより

ジュウェルの作品は自分の内面どころか、自分で撮った写真でもないですね。

すでに役にたたない拾った写真を使うことで、自己表現というよりも写真そのものが持つ特性について考えさせるような作品となっています。作家としてのジュウェルもこの作品の中には見えませんね。

次回、もう少しファウンド・フォトを使った作品を見てみましょう。

 

*1 「前略 もう我慢できません。私が慢性ゲリバラ中耳炎だからではありません、」とはじまる、写真集に添えられた荒木さんのマニフェスト。

Written by iseki ken

2012/08/16 at 16:28

Posted in Found Photo